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きまぐれ日記2



- きまぐれ日記2

-01 更年期障害

01 更年期障害

更年期障害と言う言葉をご存知だろうか。

更年期に迎える障害と言う意味だ。

人生にはさまざまな障害がともなう。
はっきり言って、思ったことの10に一つでも実現できればいいほうだ。
もしそうでなかったら、10代のころはオリンピック候補選手に、20代の頃は医者に、
30代ではやり手の実業家に、40代ではおお金持ちになっていただろう。

漠然と思ったことの一つも実現できなかったのは、思ったことが10より少なかったせいだろう。

もし、100のことを思っていたら、5くらいはできていたかもしれない。

今日から100のことを思おう。

しかし、毎日100のことを思っていると何を思ったかも忘れてしまう。
その場合なにが実現できて何が実現できなかったかさえ分からなくなってしまう。

やっぱり欲張ってはだめだ。
では、一つのことを100倍強く思おう。

そうすれば、実現可能性は増すかもしれない。
どんなことでも、まず思うことから始まる。思わなければ行動しようとしない。

たとえ人がなんと言おうと、強く思い続ければ、それに向けて行動し、それを実現するための方法を考え、いつかは思ったことを現実化する。

どこかで聞いた言葉だ。
松下幸之助氏は、人に成功の秘訣を聞かれて
「成功するまで、続けること。」
といったそうです。

やはり強い思いが人を動かすもののようだ。
こういうことに感動するのは、簡単だが。
それでも、人はなかなか動かないものだ。
そこには、やはり何がしかの障害が存在するからだ。

このことに、きづき自分の人生に見切りをつけるのが、更年期になってからだ。
そこで、ひとはこのことを漠然と“更年期障害”と呼ぶ。

いや、いかんこんな結論では、自分で自分を否定しているようなものだ。
よし、明日から強く思うぞ、「年末ジャンボ1等当選。」

-02 カレーの哲学(1)

02) カレーの哲学(1)

私達は、わけもわからず金を取られると、不当なことだと思うが、
わけも無くお金をもらっても不当なことだと思わない。
ここで、野球をするので、ひょっとしたらガラスを割ることがあるかもしれません。
そのときは弁償しますごめんなさい。
と言われてからガラスを割ったら、仕方ないなと思うが、
何の前置きも無くガラスを割られ、その後で謝られても頭にくる。
非常に困難な場面に遭遇し、九死に一生を得たとき非常に幸運だったと言うが、
何の事故にもあわない日常を幸運だとは思わない。
このように、同じことでも、立場が変わったり、順序が違うだけで、
受け取り方が違ったり、別のことのように認識する。

いきなりなんでこんなことを述べたかというと、料理にも同じことが言えるのではないかと、あるときふと思ったからである。
つまり、同じ材料を使っても、手順が違うだけで味に違いがでてくるのではないか。

材料としての本質が変わらないのに、使い方によって味が違ってくる。

料理の専門家からすれば、当たり前かもしれないこのことに、あるとき思い至った。
思い立ったらやってみるのが、私の主義、早速試してみることにした。

物事の本質をさぐる学問が哲学、だから、これは料理における哲学の追求である。

-03 カレーの哲学(2)

(3)カレーの哲学(2)
今回挑戦したのは、哲学的カレーだ。

何がどう違うのかというと、何もどうにも違わない。

しかし、違うかもしれない、何かすごい発見があるかもしれないという期待感が楽しい。

違っていると思わせて、マンネリ化から抜け出したいと思っただけのような気がしないでもない。

いつもなら、玉ねぎ4個を千切りし、
レンジで10分間加熱して水をとばし、

狐色になるまで炒めその後で、ミキサーでどろどろにするのを、

まずミキサーでどろどろにしてから炒めてそれから煮込んだだけだ。

構想の段階では、どろどろになった玉ねぎが狐色になるころには、
液状になりソース化し、うまみ成分が凝縮し

それをベースにしたカレーはえもいわれぬうまみをかもし出すことが推測できた。

それを、試食してもらうと、

一口くちにはこび、動作が止まる。
少し間をおいて、「まいう~。」

「これは、うまい。こんなにうまいカレーは食べたことが無い。
是非カレー屋さんをやるべきだ。」

という感想を述べられる。

という妄想が頭に浮かんだ。


-04 カレーの哲学(3)

(4)カレーの哲学(3)
「これは、いける。」 直感だった。
間違いない。
こんなに明確にイメージできることはめったに無い。
きっとうまくいく。

そう思ったら、玉ねぎをいためる手にも力が入り、思わず40分も炒めてしまった。

玉ねぎはどうなっかというと、水気はすっかり飛んだが、
なかなか狐色にならず、
それでも我慢していためているとだんだん粘り気が強くなり、
かき回している竹べらが動かなくなり、
かき回すのも困難になってきた。

そこで、どろどろソース状にはならなかったが、そこでいためるのを止めて、煮込みに入った。

後はいつもの通り、ミキサーで粉々にしたニンジンをいれ、
大きめに切ったジャガイモをいれ、バターと砂糖を少々、
最後にソテーした肉を入れて煮込む。

ジャガイモが柔らかくなったら、カレー粉を入れて出来上がりだ。

結局どうなったかというと、どうにもならなかった。
別にまずくは無かったが、いつもとは全然違うというようにはならなかった。
むしろいつもより玉ねぎ臭が強かったような気がする。

他のひとに感想を聞いてみても「いつものようにおいしい。」だけだった。

結論、何事もやって見なければ分からない。挑戦あるのみ。

-05 脳梗塞になった

(5)脳梗塞になった

これはとある夏のできごとである。

“先日、ひどい頭痛がした。吐き気もした。
下痢もした。
なんで、こんな時期に風邪なんか引くんだろう。
ちっとも寒くないのに。

そういえば、寒さにめっきり弱くなった気がする。

冷害といえば夏場に起こる。
だから、夏に風邪を引いてもおかしくない。
自然の摂理に叶うというものだ。
なんで夏の暑いときに冷害なんだといぶかしく思う。
だったら、冬の寒いときに熱中症が起きてもおかしくない。
暑くなるべきときに、暑くならないために作物が思うように育たない。これが冷害だ。

だけど、夏に、少しくらい温度が上がらないからといって、
冷害と名前をつけるほうがおかしい。

夏風邪と言う名に、あやかって夏冷えでよいと思う。

要するに、あって当たり前の状況にならないときに害は起きる。

エアコンの効いた部屋で、露出している肌を触ると冷たく感じる。
特に汗をかいているときは皮膚が異常に冷えてくる。
どんなに寒い冬でも、衣服を着ているから肌の表面がこんなに冷えることはない。

だから、体の表面にとっては、夏の方が寒くなるのである。
だから、体調を壊す、夏風邪をひく。
とくに、基礎代謝が落ちて熱放散の少なくなったお年寄りにはこたえる。
要するに、エアコン病だ。

ところが、体の状態を友人に話したら、
そりゃ間違いなく脳梗塞だよ。
と言われた。

彼曰く、脳の血管が詰まる脳梗塞は、40を過ぎたことから小さいのが頻繁に起こるらしい。

しかも、その症状が最初に言った症状とぴったり一致するそうだ。

ただ、生活に障害をきたすほどの損傷を受けていないからすぐに復帰するだけで、
脳の検査をすると詰まっている血管は結構あるらしい。

なーんだ。そうだったんだ、風邪じゃなくてよかった。 ”


-06 環境問題に対処するには?(1)

(06) 環境問題に対処するには?

環境問題にどう対処するか?
(1)

地球にいいことやってますか。

運動すると、エネルギーを消費する。

仕事をすると、資源を消費する。

買い物へ行くとお金を消費する。

テレビを見ると電気を消費する。

いずれも、二酸化炭素を排出するのに貢献しそうで、地球にとっては迷惑なはなしでしょう。

つまるところ、何もしないでごろごろしているのが、地球環境には一番やさしそうに見える。
1日に14・5時間寝るといわれている猫のような生活が理想かもしれない。
でも、猫は食わせてくれる人がいるけど、人間はそうはいかない。
自分で食料を調達しなければならないし、ときには自分以外の人や動物さえも養わなくてはならない。

考えてみると、ペットを飼うことほど無駄なことは、無いのではないだろうか。
自分が生きているだけで、地球に多大な迷惑をかけているのに、なんで、ペットまで。

そう考えると、一番罪なのは、われわれが生きていることではないかと言う結論に達する。
たぶん一番いいのは、人間がいなくなることだ。
だけど、50年後に自分がいなくなるのは、保証できるけど、今すぐにと言われても、なかなかそうすることも、潔しとしない。

せめてもの償いにと身の回りで、できることをさがしたら、
とりあえずいくつかのことが思い浮ぶ。

そのひとつが、できるだけ車に乗らないで自転車にすること。
もう一つは、ごみを極力減らすこと。

-07 環境問題を考える    (2)

(07)環境問題を考える(2)

( 以下独断と偏見によって考察した文章なので、人畜無害であるとは思いますが、内容に関しては、一切責任を持ちませんので、ご了承ください。 なるべくなら読まないことをお勧めします。)

自転車は環境にやさしい乗り物だと一般にいわれるが、
ここには大きな誤解がある。

まず、自転車の種類だ。
ロードバイクとか、クロスバイクとか、マウンテンバイクとか、ママチャリとか、パパチャリとか、うっちゃりとか、電動アシスト付バイクとか調べてみると驚くほどある。

知らないのまで含めると、2016種類はあるのではないかと思われる。
これらの自転車をつくるのに、まず鉄を使わなくてはならない。
その鉄を作るのに製鉄所で膨大な量の燃料をもやし、酸素を消費し、
二酸化炭素と排出する。
その他の部品でも、製造する過程でどれだけのエネルギーを消費しているか分からない。
更に、それを輸送するのに電力またはガソリンを消費する。
電気を作るには、現在のところ沢山のエネルギーを燃やし二酸化炭素を排出する。

だから、いたずらに自転車が増えたところで、それで環境にやさしいとはいえない。

たしかに、現在自動車に頼っている業務を自転車でこなすことができたら、二酸化炭素の排出量は劇的に減り、環境問題に貢献するだろう。

 しかし、そが不可能なのは、火を見るより明らかだ。

では、いったいどういう人たちが自転車に乗り環境にやさしいとうそぶいているのだろうか。

これに関しては、アンケートを実施した。 
下記を参照されたい。
アンケート   あなたは、なぜ自転車にのりますか。
         回答: そこに自転車があるから、  50%
             ダイエットのため      44%
             お金がないから       5%
             隣の人にすすめられたから  1%
 ただし、このアンケートは、町行く人1000人に聞いたら恐らくこのような結果になるだとうと予測のもとに、
私が回答し集計したものである。

そこに自転車があるから、と答えたのは意外だったが、
目の前にあるものを利用したいと思うのは、ごく自然ななりゆきで、
いらなくなったら、放置すると言うのもそういう人にとっては、ある意味自然な行為なのだろう。

ダイエットのためと言う回答が多かったのはある程度予測がついた。

問題は、ここにある。

それは、ダイエットが必要なひとは、必要以上に食料を摂取していると言うことで、
その無駄に摂取した栄養素(エネルギー)を排出しようとしているということだ。

排出すると言うことは、人間の場合細胞内呼吸によって酸素を使い二酸化炭素と水に分解することだから、

車に劣らず積極的に二酸化炭素を排出していることになる。

この行為を環境にやさしいと言えるのだろうか。

食料を無駄に摂取するばかりでなく、それを分解するためにエネルギーと酸素を使う。

こんな矛盾に満ちた行為があるだろうか。

こういう人たち向けにサイクル足こぎ式発電機を開発し、ダイエット発電所を作ったらどうかと提案したくなる。


-08 環境問題を考える    (3)

環境問題を考える (3)

2つ目の“ゴミを極力減らすこと”について。

この問題を考えるには、ゴミの定義について明らかにしなくてはならない。
なぜなら、ある人にとってゴミであっても、別の人にとっては宝物であることもあるし、
資源でもあると言うこともあるからである。

たとえば、日本で廃棄しているコンピュータや電化製品が東南アジア等で現役として活躍している。
更に、生ゴミが、微生物の栄養源として発酵させるなどして、バイオエタノールに変身する場合もある。

また、家の中においてある場合はただの邪魔な荷物でも、一旦外に出すとゴミになる場合もある。
また、おき場所が変わらなくても、持ち主がゴミと言った瞬間にゴミになる場合もある。

そうしてみると、ゴミかどうかの判断は、所有者の判断による場合もあるし、そのゴミが置かれた環境によることもある。

ときには、奥さんの虫の居所が悪く、だんなさんが粗大ゴミ扱いされるというのも、身近な具体例として付記しておかなくてはならない。

したがって、ゴミの定義を決定するのは、きわめて難しい。

そして、安易に前後の事を考えずにゴミを減らすことは、
時には宝物を減らすことにもなり、資源を廃棄することにもなり、
ときにはだんなさんを追い出すことにもなる。

資源が乏しく輸入に頼っている日本は、ゴミを将来の資源と考えて、
各自が大事に保管するのが、長期のビジョンに立った場合一番求められていることではないのだろうか。

目先の見た目と利便性のみを考えて、将来資源になる可能性を秘めた、“ごみ”を、環境を守るためと称して安易に処分しようとする姿勢こそ問題があるのではないだろうか。

ただ、ゴミを処分せず保管するということは、
大変コストと労力のかかることなので、行政に頼ることなく、
各人が来るべき未来のために、責任を持って保管することこそ正しい道なのである。
こう考えると、よくテレビのワイドショウなどで、取り上げられるいわゆる“ゴミ屋敷”これこそが、健全な市民としてのあるべき姿なのではないかと思う。

とある、ワイどショウでレポーターが、いかにも意地悪そうに、
“これだけゴミが溢れると生活するのに、不便ではありませんか?”
という問いに、
家の所有者は、毅然として、
“これはゴミではなく資源です。”
とおっしゃっていました。

以上


-09 ペットがくれたアイデア(1)

 ペットがくれたアイデア(1)

とある連休に横浜に行ってきた。
赤レンガの倉庫、山下公園、中華街、氷川丸、ラーメン博物館、
ランドマークタワー、マリンワールド、八景島、外人墓地、
共同墓地、個人墓地、山下家墓地、鈴木家墓地、佐藤家墓地、
田中家墓地、例を挙げればきりがないが、それほどみどころが多い。

では、一体誰がいつごろ開いた土地なのかと聞かれたら、案外知らない人も多いのではないだろうか。
実は、私も知らない。
しかし明治以降横浜の近代史に果たした役割は計り知れないほど大きいものがある。
横浜のおかげで現在の日本があるといっても過言ではない。
なぜなら横浜が無ければ、日本列島の形が変わってしまうから。

その横浜の山下公園で、ペットを連れて歩いている人を沢山見かけた。
しかしよく見るとペットに連れられている人も沢山いた。
それほど現代人にとってペットの存在は大きいものらしい。
(意味不明)

ペットは公園を歩くとき全く回りに頓着しない。
誰がどこにいようと、構わずに自分の行きたいところへ突進する。
たとえそこに誰がいようと。
そして人間はそのペットに引きずられるようについていく。

ペットが道路交通法を無視しようが、人の道に反するような行動をしようが、
優しく言い聞かせるだけで、決して怒らない。
あれほど、小動物に優しい人間はきっと、周りにも気遣いが行き届き相手の子持ちをおもんぱかり、礼を尽くして人と接するに違いない。
こういう人ばかりだったらきっと日本も犯罪が起こったりせずぎすぎすして人間関係など存在しないだろうな。
と思われるほどだった。

そういうペットもたいていは犬であることが多く、
といっても犬にもいろんな種類があり、
とても犬といえないような犬も昨今存在するので、犬とばかり簡単には片ずれられない。
人間が操るにはあまりにも大きくてまるで、像のような犬もいるかと思えば、
手のひらに乗るようなねずみのように小さい犬も存在する。
(見たことも聞いたことも無いが)

およそ犬ほど同じ種でありながら、個体差の大きい動物も存在しないのではないだろうか。


-10  ペットがくれたアイデア(2)

ペットがくれたアイデア(2)

散歩している犬の中に奇妙な動きをする犬がいた。
あんな変な動きをする犬もいるんだ。
姿が変わっているだけではなく。
最近は動き方まで珍しいのを品種改良でのを作るんだな。
それを好んで飼う人もいるんだから。
物好きな人も多いな。

それにしても変な動きだと思ったので、近くへ寄ってみた。
なにしろ、まっすぐに進まないのだ。
右へ左へジグザグに進んだかと思うと、突然止まりまたこちらが全く意図しないほうへ飛び跳ねるように進んでいく。
そう歩くというのではなく飛び跳ねるように。

更に近づいてみると、なんとそれはウサギだった。
しかも、洋服を着て頭にはリボンまで着けていた。
洋服を着たウサギなんて、(ウッ、サギ(詐欺)だ。) 不思議の国のアリスでしか見たことがなかった。

そのウサギが、こちらの姿を見てかどうかは分からないがこちらへ突進してきた。
その愛らしい動きに思わず顔もほころんで、腰をかがめて手招きしてしまった。

ウサギは、なおも突進してくる。
ところが、ウサギの後ろから、年のころなら40前後派手派手な格好した元気のよさそうなおばさまが、こちらをにらんでいる。

ウサギが直前まで来たときだった。
「触らないで!」「さー、ミーちゃん行くのよ。」「おいで、おいで。」
と強引にウサギを引っ張って行ってしまった。

一瞬、何か悪いことでもしたように、思わず手を引っ込めてしまった。
「おばさん、ウサギから俺のところへ来たんだよ。なんで、俺が怒られなくちゃならないん。」
「触るなだって、勝手にそっちが近づいてきたんだろう。ペットに言えよ。筋が違うだろ。この**ばばあ。」
といいたかった。

と言いかったけど、おばさまの勢い押されて、言葉がでなかった。
おばさまは、さっさとこちらへ背を向けていってしまった。


-11 ペットがくれたアイデア(3)

ペットがくれたアイデア(3)

あんなに、ペットには優しいのに、汝の隣人にはどうしてあんなに冷酷なんだろう。
普通、ペットが人に寄って行った場合、持ち主は「ご迷惑をかけてすみません。」って謝るものじゃないの。
なんかおかしい。

むかし、田舎ではよくウサギを飼っていた。
何のために飼うかというと、大きくそだてて肉としてうるためだった。
子どもがそれをペットとして飼っていたが、半分は大きくして小遣いを稼ぐためでもあった。
(遠い昭和中ごろの話だ。)

飼いウサギはそういう存在だった。
そういえば、豚をペットとして飼っているのをテレビで見たことがある。
そういう時代なんだ。今は。

そうか、それじゃ牛を品種改良して、思いっきり小さいのを作り、
ペットとして飼えば肉類の食料自給率は一気に改善するんじゃないか。

あんなに犬にいろんな品種があるんだから、牛だってきっとできるに違いない。

来るべき食料危機に自らが備えることになる。
犬や猫に与えていた食料が全く無駄にならずに人間に帰ってくる。
ついでに鶏も、羊もヤギも品種改良して部屋のなかで飼えるようにする。

つまり、世界中のペットを家畜にする。
すごい、アイデアだ。
(どこかの誰かにものすごくおこられそう。)

草花もいけばなもみんな食べられる野菜にする。
こうすれば、国土の狭い日本とて食糧増産が国に頼ることなく容易に実現する。
完璧なアイデアだ。(だれも相手にしないだろうけど)

こんな斬新なアイデアを思いつくきっかけになったおばさまとペットに感謝だ。


-12 酒られなかった道(1)

これは、まだ昭和の真っ只中、高度経済成長を成し遂げて未来に希望しかなかった日本と
そのなかで、未来に酒豪を夢見たある身近な少年はなしだ。
話の主人公がだれかは、若干法律に抵触する部分があるので、
明かさないで置くが、
誤解を恐れずに一人称で話をすすめる。

:::
わたしは、酒はあまり強くない。
それが、分かったのは大学生になってからだ。
酒はの強さは遺伝が大きく関与するらしい。
お酒を分解する酵素は2種類あるらしい。
それを片方しか作ることができない人が日本人には多いらしく、その人は酒に弱いらしい。
たぶん私もその一人だ。
アルコールは分解する途中でホルムアルデヒドという物質になる。
強い人はそれをすぐに分解するので、悪酔いしないが、
弱い人は分解が遅いからそれが体の中に一時滞留し、血液によって体中を循環する。その結果、
いろんな不快な症状を引き起こすそうだ。

私の親もそうだったらしく。あまり酒を飲まなかった。だから、家には酒はあまり置いてなく、
あっても来客用であるのが主だった。

あるとき贈答品としてウィスキーをもらった。
しかし、誰も飲まないので茶箪笥にずっと置いたままだった。
中学生のころだったと思う。
酒のコマーシャルは、そのころから盛んで、特にビール、ウィスキーが頻繁にテレビで流れていた。
そのコマーシャルの中で、酒を飲んでいる人のなんとおいしそうなことか。

あの表情としぐさ、「どんなにおいしいものなんだろう。」そう思わずにはいられなかった。
どんなに想像してみても、見当も付かない。
それまで食べたものや飲んだものから連想してみても見当もつかない。
あんな表情をして食べたものもないし飲んだものもない。
「いったいどんな味なのだろう。」
ずっと、気になっていた。だから、あのもらったウィスキー、親父が口をあけたら試してやろう。
とずっと思っていた。
しかし、親父は酒を自分から飲むことはまずない。
宴席に仕方なく出るくらいで、そういう時はいつも真っ赤な顔をして帰り、すぐに寝てしまった。
でも、ひょっとしたらお客に振舞うとか、何かのきっかけで口をあけることがあるかもしれない。
ずーっと心待ちにしていた。
でも、何ヶ月、何年経っても、口が開かない。


-13 酒られなかった道(2)

 酒られなかった道(2)

(2)
わたしは、高校生になっていた。
高校生になると、クラスに酒をのむ豪のものがいて、
学校で自慢げに、ビールがどうだの、日本酒がどうだの、ウィスキーがどうだのという話をする。

それを聞いていた取り巻きの連中も、本当に飲んでいるのか、
同調したり反論したりする。
わたしは、その輪の中に入れない。

ますます、ウィースキーの正体が知りたくなった。
もう仕方ない、夜になったら、こっそり試飲してみようと決心した。

幸い、ウィスキーは箱に入っていたので、口をあけてもばれないだろうと思われた。

ある夜、みんなが寝静まってから、こっそり茶の間に行き、
あの何年も思い続けてウィスキーをとうとう開けた。

小さなコップにちょっと注ぎ、ゆっくり舌でなめるように口に入れてみた。
ウィスキーは透明で、ちょうどテレビで見たのと同じ色だった。

ちょ~~驚いた。
「うっ。何これ。・・・・・・、うそだ。」
「こんなはずはない。」
「これが、あのテレビで見た琥珀色のため息。」
「一口で、表情を穏やかにするあの芳醇なウィースキーの味、」
「 のはずがない。」「そんなばかな。」
「きっとこれは、あまりにも長く置きすぎたために味が変わってしまったんだ。」
「そうにちがいない。」
と、半分疑いながらも思った。
そう自分を納得させようとした。

それほど、そのとき感じた味は、自分の常識を超えていた。

アルコールの薬くささと舌をまとわり付くようなウィースキーの味。
それを、あんなにおいしそうに、いとおしむように飲むなんて信じられなかった。
私の脳がおいしいと思う範疇には、それは、到底なかった。

大学編へつづく。

-14 空手はにが手

 大学編(1)

高校では、柔道部に所属していたが、まったく日陰の存在だった。
というのも、その当時の柔道部は、中学からの経験者ばかりで、
高校から始めたのは私1人だった。
しかもみんな身体が大きく、当時体重64キロのわたしは、華奢でひ弱にさえ見えた。

なかでも、体重120キロ、高校入学時に相撲部屋から誘いが来たという“もさ”もいて、彼と練習するのがもっともいやだった。

柔道着の両襟をつかんで、上に持ち上げ身体をうかせると押し倒し、
すぐ寝技に持ち込む。
体重120キロで上四方固めをやられると身動きができない。

あへあへともがいていると、こんなやつと乱捕りしてもしょうがないといわんばかりに、笑みを浮かべ立ち上がり、また同じような動作を繰り返す。
彼からすると人形相手に寝技に入る練習をしているようなものだったようだ。

そんなこんなで、楽しいことは何もなかった。

以上のようなわけで、
高校時代の経験を通して柔道は向かないと分かったので、
次は体重とは関係なさそうな空手を目差すことにした。

徒手空拳、一撃必殺、なんといっても空手は究極の武道だ。
素手や素足や素頭や素顔、素肌、素焼き、素性、素うどん、素直、が武器になってしまうのだから。

酢いかや酢だこ、酢醤油は武器にはならないと思う。

自分の身は自分で守らなくてはいけないし、時には人の身までも守らなくてはならないかもしれない。
まして、彼女なんかできたら、
怪しい人に言いがかりをつけられたとき、
「 大丈夫、俺がいるから。 」とかっこよく見えをきらなくてはいけない。

腕に自信がなくてどうして、人前で強がれようか。
あれこれ考えてみると、どうしても空手、と言う結論に達した。

男は、闘わなくてはいけない宿命を負っているのだ。
と、そのときは思った。
(いまは、男は守られなくてはいけないほどか弱い存在だと思っている。)
だから、大学に進学したら迷わず空手部の門を叩こうと思った。


-15 空手との決別(1)

大学の4月は、あちこちで新入生歓迎のイベントをやっていた。
正門を入って、まもなくすぐ右側で、きれいなお姉さんが、
なにやら盛んに勧誘していた。
オーケストラ部だった。

わたしの目当ては空手部なので、目もくれず空手部の部室を目差そうと思った。
しかし、実はむかしから音楽が好きで、よく聞いていた。
高校のときにひょんなきっかけからモーツアルトのホルン協奏曲にはまってしまい。
生まれて初めてクラシックのレコードを買った。
アカデミー室内合奏団。ソリストがバリータックウェル。
いまでも覚えている。

だから、オーケストラにも興味があった。
でも、小学校で鼓笛隊の正指揮をやったのと、
器楽はリコーダーとカスタネットくらいしか経験がなく、
とてもついていけそうもないと思って初めから眼中にはなかった。

でも、きれいなお姉さんが、こちらを向いて微笑んでくれている。
やはり通り過ぎるのは失礼だと思い、笑顔に引き寄せられるように、話だけでもと思って近づいていった。

予想通り、「高校のときなにやってましたか、」と聞かれた。

「柔道で寝技をかけられていました。」と答えると
「そうですか。でも大丈夫ですよ。柔道の経験がオーケストラにはきっと役に立ちますから。」

どこが、どういう風にやくにたつのか全然分からなかったけど、

「えっ、そうなんですか。へえーっ。」

「でも何も楽器は何もやたことがないんですけど。」というと、

「初心者の方も結構いますよ。」
「心配しなくても、先輩がやさしく指導してくれますから大丈夫ですよ。」
「新入生歓迎の演奏会をやりますから、聞きに来てください。」と言われ。チケットをもらった。

手に持ったチケットを見ながら、「でも俺は空手だから、」と思いながら、空手部の部室を目指した。

空手部の部室に着くと、デモンストレーションの最中だった。
部室の前で、試技をやったり、かわら割りをしていた。
回りの取り巻きの中に加わり、目を凝らしてみていると、
「よかったら、やってみませんか、」と、ひげづらのお兄さんが声をかけてきた。

「無理ですよ。」
「物は試しですよ。」と盛んに薦める。
誰かが、「やれやれっ。」とはやしたてた。

どうしようかなと迷ったが、実は腕には少し自信があった。
小学校のとき以来、3歳年下の弟には腕相撲で負けたことがなかったし、中学の時には3年間砲丸投げで学年1位だった。
(砲丸投げに参加したのは6人しかいなかった)

ただ、高校のとき、自分のレベルは、柔道部には通用しないと分かったけど体重が70キロを超えない人のなかでは、通用するかもしれない。 
そう思った。

そこで、挑戦してみることにした。

かわらの上にはタオルが2枚折りたたまれて置いてあり、初心者には痛くないように配慮がしてある。

これなら大丈夫だ。思いっきりやってみよう。と思って、力いっぱい叩いた。
「い~~~て~~~~~~っつ。」
めちゃくちゃ痛かった。
かわらは2枚だったが、びくともしなかった。

足で踏んづけてやろうかと心から思った。

回りのみんなはほっとしたように笑っている。
参った。

-16 空手との決別(2)

 空手との決別(2)

私のチャレンジを見てからかその前からなのか、そばにおいてある机のところで、入部手続きをしているものが2人ほどいた。
もう手続は完了したらしく、なにやら補足説明のようなものをしていた。
「生命保険にも入ることになっています。」
(ひょっとしたら傷害保険だったかもしれない。)
「えっ、生命保険。」「生命保険にはいるのか。」
ちょっとびっくりした。
そんなこともあるんだ。
かわらの失敗と生命保険への驚きで、タイミングをはぐらかされて、
入部手続きをする気持ちが、そがれてしまった。
とりあえずその日は、帰ることにした。
みちみち考えた、
生命保険、ひげ面のお兄さん。音楽とお姉さん。
きれいなお姉さんの指導。

頭をよぎった。
これは、究極の選択だ。今後の人生を左右する大きな選択かもしれない。
安易には決められないぞ。まず中身をしっかり、見てからでないと。
まずは、新入生歓迎の演奏を聴きに行こう。
そこから、私のオーケストラ人生が始まった。
その後、十数年も続くことになるとはそのときは思いもしなかった。

こうして、私の空手は、履歴書に書き込まれることもなく終わった。


-17 万事塞翁が馬(1)

万事塞翁が馬(1)

“禍福は糾える縄の如し”
例えが的を得ているかどうかは、別にして、
これは、実話です。
ここから得た教訓は、“正しいと思っら迷わず行動しろ”ということです。
塾で使っているプリンターはリコーのNX860eという機種です。このプリンターのトナー(インクに代わるもの)は純正品が40000円ほどします。あまり高いので、いつも7000円ほどの再生品を使っています。
再生品なので、若干質は落ちるしトラブルも発生しやすいのですが、何しろ背に腹は代えられません。
若干のトラブルは承知の上で使っています。一応大体の商品が1年間の保障がついているのでまあいいかということで。
今までにも、1、2度トラブルが発生したことはあったのですが、今回のようなことは、つゆぞ経験したことがありませんでした。

 ある日コンピュータに登録してある教材をプリントしていると突然、キー~と言う音がしてプリンターが止まってしまいました。
こういうとき私は決してあわてません。
なぜなら、いままで、たいてい簡単な処置で、またはリセットすると直ってきたからです。
今回も、どうせスイッチを入れなおせば直るだろうぐらいにしか考えていませんでした。
ところが、スイッチを入れなおしても、カートリッジをはずして入れなおしても、
しかもそれを3回繰り返しても、事態は全然変わりませんでした。
こういうときも私は決してあわてません。
なぜなら、たいてい叩いたり、内部を清掃してやるとたいてい機嫌を直して動いてくれるからです。
その日も、カートリッジをはずして内部うを清掃して、ついでに機械を握ったこぶしでおもいきり叩いてやりました。
「動け!!」と大きな声で言いながら。
でも、やはり、プリンターはくだんの音をたてたままで動きませんでした。 
それでも、わたしは少しもあわてません。
いままで何回となくトラブルにあいその都度的確な判断と人の善意にすがって、見事に解決してきたからです。
 トナーをはずしてもう一台の機械のものと交換してみました。
明らかに、このトナーに異常があることが分かりました。
 そこで、まずトナーの残量を調べました。
トナーにトラブルを生じた場合、トナーの残量が90%を超えなければ新しいのと交換してもらえるのを知っていたからです。残量は5分の一と表示されていました。
それ以上細かく残量は表示されないので、残量80%と言うことで、メーカーにとい合わせしてみたところ、
「申し訳ありませんでした。すぐに代替品をおくりますから、そのトナーは送り返してください。」とのことでした。
“ラッキー”かな、トナーがなくなりかけたとき新品と無料で交換できる。まさに“災い転じて福となる。”だ。


-18 万事塞翁が馬 (2)

“禍福は糾える縄の如し”

 ところが、数ヵ月後、代替に送られてきたそのトナーの残量が5分の一を超えて、たぶんもうほとんど終わりかなというころ、
前のトナーのときと同じ症状が発生しました。
 今回は、すぐにその旨メーカーに連絡しました。
担当は同じ人だったので、前回のことを細かく話して、
今回は残量が10%を割っているかも知れないということもちゃんと伝えて、
どうしたらいいか訪ねました。

すると、「本当に申し訳ありませんでした。
すぐに代替品をおくりますから、不良品を送り返してください。」
ということでした。
1度ならず2度までも、しかもほとんど使い切ったときにまたしても、新品と交換してもらえる。

これが、“幸運”でなくて、何と呼べるのだろうか。
と有頂天になり、べらべらと人に話しまくりました。

 それにしても、2回も同じトラブルが起こるなんて商品の質に問題がないわけではないけれど。

トラブルが起こったとの時の対応で、逆に信用が増すこともあるんだな。
トラブルは逆に考えると、誠実さをアッピールするチャンスでもあるんだ。ということを学んだ。

これは、いい話だ。と思った。

 ところが、その送られてきたトナーを使い始めたら、
またしても、今度は、細かい点があちこちにでて印刷がとても汚い。

使っているうちに消えるかなと思って、何枚か印刷をしたが、一向に消えない。
今度はさすがに迷った。

2回も無料で新品を送ってもらっているのに、またクレームをつけるのは気が引ける気がしたからだ。

しかし、使えなくはないがやはり気になる。
どうしたものか、と思案して、友人に意見をきいたところ、「そりゃ言ったほうがいいよ。」ということで、

意を決してまた、連絡してみた。

「たびたび迷惑をかけてすみません。
また新しいのを送りますから。」ということで、送ってもらって現在に至る。

今のところ問題なく印刷できており、たぶんこのまま最後まで行くと思う・・・・。
しかし・・・。
1個で3倍得したともいえると思うが、はたして徳なのか、損なのか。


- 19 Do it yourself (1)

Do it yourself (1)

私のモットーは、「チャンスがあればなんでも自分でやってみる」だ。
だから、今までいろんなことにチャレンジしてきた。

食料の買出し、下ごしらえ、炊事、食事、食事のあとの片付け、食器洗い、部屋の掃除、アイロンかけetc。

こんなことを言うとうちの奥さんが何もやらないように聞こえるが、決してそんなことはない。
わたしが、食事をつくるのは、たまの日曜日だけだ。念のため。

奥さんの名誉のために言うが、うちの奥さんは極めてまっとうな普通の主婦だ。
決して、家事を怠ったり面倒くさがって後回しにするなどということはしない。
私は、つねづね感謝しているし、尊敬申し上げている。
決して逆らうようなこともしない。(怖くてできない。)

もうかれかこれ20年以上も前になるが、
アメリカに短期留学したことがある。

その時、滞在した家族は、お父さんが高校の先生、お母さんが小学校の先生、息子さんが空軍の戦闘機パイロット、その弟は中学生。
おばあさんは同じ町に一人で住んでいた。
お父さんの弟が空軍のパイロット。という家庭だった。

隣のうちが農場主でプールつきの豪邸に住んでいた。
夏だったので、よくプールに遊びに行った。
何にも断らずに勝手に泳いでいいと言うことだったので毎日泳ぎにいった。
結局そのうちのご主人には最初と最後の2回あったきりだった。
おおらかな人だ。

わたしのホストファミリーでは、家事はお父さんとお母さんが完全に分担してやっていた。
1日おきに交替で食事を作り、あとかた付けまできちんとやっていた。

ある日の朝、食事に行くと、お父さんが注文を聞きかいがいしく給仕してくれた。
最初はなんだか、ちょっと不思議な感じもしたし、奥さんが威張ってるのかなと思ったりしたが、幾日か経つうちにそれがすごく自然でお互いに尊重しあい協力しているんだということが感じられるようになって来た。

なんだか、すごく素敵でうらやましくさえ感じた。」

自分も家庭をもったらこんな風にしたいなと思った。(そのときは。)

さらにそこのお父さんがすごいスポーツマンで、何でもできた。
わたしも、誘われるままにいろいろやらせてもらった。
水泳、自転車、野球、ラケットボール(日本で言うスカッシュと同じ)、バドミントン。
どれをとってもうまい。
ぜんぜん歯が立たなかった。

あるとき、長男(パイロット)が帰ってきて、一緒にお父さんの高校の体育館で、
バドミントンの試合をすることになった。

4人でダブルスをやったが、わたしだけが際立って下手で恥ずかしい思いをした。
でも、随分と気を使ってくれて打ちやすい球を返してくれた。

ダブルスが終わって、長男とお父さんがシングルスで試合をすることになった。
真剣勝負だった。どちらもうまくてなかなか見ごたえのある試合だった。
結局長男が勝ったが、本気になって打ち合っているその姿が、カッコよくて自分もいつか子供ができたら、絶対真剣勝負をやりたいと強く思った。

その時お父さんは46歳息子は20何歳だっただろう。
46歳のお父さんと20代の息子が対等に勝負できるなんてなんて素敵なんだろうと思った。

だから、自分もそれ以降、体を鍛えるのを怠らずにいまでもスポーツを続けている。
でも、大きくなった長男には、悲しいかな相手にされていない。

- 20 Do it yourself(2)

Do it yourself(2)
話を戻すが、結局家事を分担してやるという認識はそのときに、頭に入ったものだった。
自分の育った家庭しか見ていなかったら、私の年代では家事を積極的にすることにやはり抵抗があった。

そのお父さんは、スポーツだけでなく、やはり何でもこなした。

アメリカでは、“DO IT YOURSELF”の伝統が根強く残っているらしく、
大工仕事も庭の手入れも、自動車の手入れも積極的にできることは、何でも自分でやるようだ。

そのための道具や材料も手軽に手に入るらしく、よくそろっていた。

私が滞在したのはごく普通の中流家庭だと思うが、リビングやシャワールームもお父さんが作ったと言っていた。

そのことにもいたく感動した。

「なるほど、何でもやるんだ。」「ほんとにまめだな。
アメリカ人っていうのは。」
そのことに誇りすら持っているようだった。

これが普通のアメリカ人なのか、特別な人なのかはわたしにとってどうでもよかった。

自分もそうしようと思ってしまったのだ。

この留学は得るものが大きかった。なにしろ金をかけずに生きるすべを教わったのだから。
語学留学のつもりだったが、私にとっては生き方を教わった留学だった。

つまりなんでも自分でできることはやろうという人生訓はこうして出来上がっていったのだ。

その後いろんなことに手をだした。
できることはチャンスがあれば何でもやろう、
ということで、誘われたら、たいていのことはやった。
ただしものになったものはほとんど皆無に等しい。

スポーツもいろいろやった、音楽もいろいろやった、料理にもチャレンジした、山菜きのこ採集にも釣りも。いちいち書き出すときりがないのでここでは省略する。

過去形で書いているが、休止中のものも含めてたいてい現在進行形である。
人間には、やろうと思ってできないことなど、ないのだ。
ただし、ある程度までのはなしで、ものになるかどうかは別問題だ。

いままで、やってできなかったのは、お金持ちになることと、人から尊敬される人間になること、100メートルを10秒で走ることと、そのほかに100ほどあるだけだ。
やって面白かったのは、お風呂で採集したメタンガスに点火したら燃えたことだ。

兎に角できると思われるものは自分でやってみる。そう思って生きている。


- 21 記憶に関する2、3に考察(1)

記憶に関する2、3に考察(1)

年を取ると記憶力が落ちると言われるが、本当にそうなのか。

ある本で読んだところによると、記憶力そのものが落ちるのではなく
想起するのに時間がかかるとのこと。

なかなか思い出せないというやつですね。
そのひとつの説明に、情報量が多すぎて検索するのに時間がかかる、
というのもありました。
コンピュータと同じですね。

本当にそうかどうかは私の知るところではありませんが、
原因がはっきりしているのなら、手立てはあるのかもしれません。

ちなみに、私もすぐ忘れるという現象に日々被害を被っていますが、
記憶力が衰えたという気はしていません。
なぜなら、覚えようと思うと覚えられる気がするからです。

巷に記憶術なるものが沢山ありますが、どれもイメージを活用するようです。

脳は、イメージで記憶するらしく、たしかにイメージを描くと定着がよいようです。
あなたは、りんご、と言われたら何を思い描きますか。

赤いりんご でしょう。 決してリンゴという文字ではないはずです。


- 22 記憶に関する2、3の考察(2)

記憶に関する2、3の考察(2)

記憶力を高めるにはどうするか。

覚えられない英単語や法律用語を覚えるのに簡単で有効な方法があるのか。

調べてみました。

記憶術なるものは、古くからあるようで、その書籍たるやかぞえあげたらきりがないほどです。
とても、全部を調べることなどできません。

そこで、いくつかあたってみました。

渡辺式記憶術、 アクティブブレイン記憶法、  マインドマップ記憶法

この辺は、最近特によく目にする記憶の方法かと思いますが、
3つ体験してみました。

このうち前者2つは、その具体意的方法がとてもよくにていました。

マインドマップは、記憶するだけの目的ではなく、知識を整理し理解を助ける方法でもあるようです。

しかし、3つに共通するのは、どれもイメージをうまく活用するということでした。
イメージは記憶にとって決定的に重要であるようです。


-23 記憶に関する2、3の考察(3)

記憶法についての3つの体験報告

渡辺式記憶術  アクティブブレイン記憶法  マインドマップ記憶術

上記のうち、アクティブブレインとマインドマップはセミナーに参加してみました。

いずれも大変面白くとても参考になりました。
とくに、アクティブは創始者の小田全宏氏の話術がたくみで、受講者に大人気でした。

いずれも、イメージを活用する点では、共通していますが、
マインドマップは趣旨が違うので、その他の記憶法とは全く別物です。

渡辺式とアクティブブレインは共通点が非常に多く、ネーミングは違うのですが、
手法としてもほとんど同じもののありました。

たとえば、まず
数字50音を対応させて覚えます。
1:あ行(あいうえお)
2:か行(かきくけこ)
3:さ行(さしすせそ)
・・・・
次に、011から100までの数字に具体物を対応させます。、

11:アイス(1:あ、1:い)
12:イカ (1:い 2:か)
21:カエル(2:か 1:え)

こうして100個の具体物を覚えたら、数字の羅列に2ケタずつ対応させ、頭に具体物をイメージしながら、ストーリーでつないでいきます。
こうすると意味のない数字の羅列も覚えることができます。

わたしも試しに、円周率を300ケタに挑戦しました。
見事に覚えて再生することができました。
頑張って1000ケタまで覚えるぞとその時は思いましたが、
あほらしくなって315でやめました。

その後しばらくは覚えていましたが、1か月したころにはすっかり忘れました。
やはり、その後何回が反復しないと定着は無理なようです。

でも、イメージの力を実感することができこれは、大きな収穫でした。

興味のある人は、ぜひ試してみてください。


-24 数学が得意な人は高所得

数学が得意な人は高所得

時事通信によると

数学・物理が得意だと高所得だそうです。

1万人を対象にした調査では、平均年齢43歳の人の所得は
数学が得意   620万円
理科が得意   608万円
国語が得意   437万円

理数科目の中では、物理が681万円でトップ 
         生物が549万円で最下位 だそうです。

わたしは、小学校の数学が得意でよかった。(笑

論理的思考が仕事に役立つことと、理数が得意な人が減少しているために
価値が上がっているそうです。

なのに、数学の得意なわたしは、なぜ所得が低いのでしょうか?

今からでも遅くない数学を勉強しましょう。


-25 アロエの効用

 アロエの効用

アロエは万能薬とよく言われます。

子供の頃母親に、ヤケドをするとすぐにアロエを塗ってもらったり
風を引くと、アロエのすりおろしとはちみつをお湯で割ったのを飲ませてもらったり

結構お世話になった気がします。

でも、沢山飲んだりつけたりしたけど、
頭に塗っても、良くはならないし、

ゴキブリが出たときにそばにあったアロエ液をぶっかけたけど、
元気に走り去ったので、ゴキブリには効かなかったようです。

ひよっとしたら、効いたから元気に走り去ったのかも?(笑

アロエが髪の毛に効くというのを、テレビでみました。
早速ためしてみました。

ほんとに効くみたい。
髪の毛が、硬くなりフサフサ感がすぐにでました。

では、どうやったのかというと

これから、その体験を書いてみます。


-26 アロエは髪の毛にきくのか?

アロエにも色々種類があるようですが、アロエベラというのがいいそうなので
早速それを購入し鉢植えにしました。

葉を1枚むしり取って、それを1.5センチ位の幅に切り厚皮を剥き
そのゼラチン状の葉肉を直接頭皮に塗って一時間くらいおきました。

乾くに連れて頭皮が突っ張るようになってきて、
なんか効いてる感じがしてきた。

効きすぎて、逆に髪が抜けるかもしれないななどと一瞬思ったが、
いやそんなはずはない。
いままでお世話になったアロエさんはそんな非人情的なことはしない。
と固く信じ、じっと耐えた。

ただ、ここに一つ問題があり、
アロエのヌルヌルした液を頭皮に直接塗ると、髪の毛が頭皮にベッタリとへばりつき
頭の横の髪は普通に立っているので、
その姿が余りにもカッパに似ているのです。
自分で鏡を見るのも恥ずかしいほどでした。
とても、家族には魅せられないので、みんな寝静まった真夜中にやるしかありませんでした。

1年経った未だに、わたしのその姿を見たという人は、一人も現れません。

やはり、普通の育毛剤の方が使いやすいですね。 
これは、実感でしたね。

-27 アロエ育毛 体験その3

アロエは、本当に髪の毛にいい。

アロエを頭皮に塗って、普通にシャンプーで髪を洗い、ドライやで乾かすと
本当に髪に腰が出て、しっかり立つようになってきました。

たしかに、フサフサ感がでています。

これなら、あのカッパの姿も容認できると思いました。

テレビでは、水で薄めて塗ると説明していましたが、
水で薄めるのも面倒なので、直接塗るのをつづけました。
特に問題はないようでした。

その後、みかんのエキスが髪にいいというのをネットで見て、
ミカンもいいななら、ミカンとアロエをコラボしたら
2倍の効果、いえ、ひょっとしたら、相乗効果で3倍以上の効果があるかもしれないと

みかんのエキスも混ぜてみることにしました。


-28 アロエ育毛 体験その4

アロエ育毛剤体験記  その4

果実酒用のアルコールを買って来て、乾かしたみかんの皮をそれに付けそのエキスを抽出しました。 

それを、しばらく放置し、アルコールをある程度とばしてから
その中へアロエをいれました。

その液をろかして、特製アロエミカン育毛剤をつくりました。

十分熟成したと思われる頃、2ヶ月ほどたってから、頭皮につけ始めました。

う〜ん、頭皮にミカンとアロエを感じるな、

   ”重いな。”
そんな、感じでした。

しかしながら、2,3ヶ月たっても期待した成果は全然実感できませんでした。

ひょっとしたら、作り方がまずかったのかもしれませんが、
アロエはミカンが嫌いだったようです。

嫌いなものを、無理やり押し付けた、自分を反省して、この実験は終了しました。

-29 熊さんやーい。(1)

毎年恒例の山菜取りに行ってきた。
近頃、テレビや新聞で熊情報が多く、中には死亡例も報告されている。
今回はいつになく、熊のことが心配になった。
かつて山菜取りでは遭難しかけたことがあり、その時は3時間ほど山の中をさまよい、運よく人の声に導かれて助かった。

それから、山の奥に入るのは自粛し、山菜取りはもっぱらスキー場で済ますことにしている。
スキー所は見晴らしがよく、もし熊さんが出没しても遠くから分かるから難を逃れることができる。

とはいってもどこのスキー場でも、目当てのものがとれるわけではないので、長年の調査研究の末、ワラビはここのスキー場、ウドはここのスキー場と決めていた。

ところが、長年良質のウドを収穫していたスキー場がいつの頃か、使用されなくなりい、手入れしなくなった。
その結果幼木が身の置き場もないほど生い茂り歩くのさえ難儀になってきた。
まして、上級者向けのコースだったので、斜度も結構あり上るのは容易でなくなった。
昨年までは、その生い茂った林の中をかき分けかき分け進んだが、さすがに近年きつく感じられるようになった。

2万5千分の一の地図で検索したところ、登山者用の遊歩道がウドのゲレンデの上部をとおっていることが分かったので、今年はその遊歩道経由で上部から入ることにした。

遊歩道は見通しの悪い山間を入って行くので、また結構深く入って行くので熊と出会うかもしれない。

そこで、一人で行くので用心のためリックにクマよけの鈴を付け、パークゴルフのクラブを持参することにした。
少々重くて邪魔な気がしたが、万が一のことを考えた。


-30  熊さんやーい。(2)

もし、熊に出会ったらどうするか、
事前に3つのパターンで作戦を練っておいた。

①  15メートル以上離れたところにクマを見つけたとき

 熊がこちらに気づいていないなら、じっと押し黙って隠れて、
 熊が去るのを待つ。
  もし、気づいていてもこちらに来る気配がないなら静観する。

②  10メートル位の距離で会って視線が合ってしまったとき

 じっと見つめて大きな声で挨拶する。

「こんにちは。ご機嫌いかがですか。初めてお目にかかります。
 〇〇と申します。この度はお騒がせしてすみません。
 すぐに退散しますから、どうぞお気になさらずに。」

  熊さんが呆れ顔でポカンとしたら、しめたもの。
  目を見つめたまま後ずさりして、熊が見えなくなったら、
  逃げる。

③  反対側の斜面から上がってきた熊に至近距離で出会ったら

 じっと黙ってひたすら目を見つめる。 
 愛が芽生えたら、少しずつ後ずさりして、
 後ろが急な斜面だったら、逃げる。
(熊はのぼり斜面は強いが下りま、前のめりになるので苦手だと
 聞いたことがある。)

 もし、険しい形相で敵意をむき出しているようなら、
 持ってきたクラブを握りしめ静かに振り上げ、
 熊が飛びかかってきたら、頭をめがけて振り下ろす。

 この際力んで力を入れすぎると外す可能性があるので、
 力まずインパクトの瞬間のみに集中する。

 (これは、日頃からパークゴルフの際に心がけていることだ。
  こんなところで、パークゴルフの練習が役に立つなんて、
  不思議な巡り合わせだ。)


-31 熊さんやーい。(3)

さて、実際に遊歩道に入って行くと、道は思ったより急で、
斜面を直登した時と同じくらい苦しかった。

でも、万一のことを考え、大声で「苦しい、苦しい、ガンバ。」
と連呼しながらすすんだ。

山の中は静かで、人の気配も動物の気配すらまったくなかったが、
声は出し続けた。

雨上がりだったので、足元が不如意で転びそうになったことも何度かあったが、そばに生えていた樹につかまりながらなんとか上り続けた。

もうこの辺が斜面の上部かなと何度か思ったが、相変わらず林の中で、なかなか目的地には着かなかった。

幸い熊にも出会わなかった。

30分ほど登ったところでようやく見慣れた景色が眼下に広がっているところに出た。

そこらから、目当てのウドを求めて斜面に下りて行った。
いつものあたりに出るとウドがたくさん生えていた。 

このあたりは冬は雪が多く、急な斜面で、石がごろごろしていて、
ウドに適しているのか、太くて柔らかい上質のウドがたくさん取れる。
それこそ、栽培したウドでは決して味わえない豊かな風味とさわやかな苦みがあり根元は生でも食べられる。

が、今年は雪が少なく気温も高かったせいか、すでに育ちすぎていて、触ってみても硬そうだった。

でも、ここまで来て手ぶらで帰るわけにもいかないので、比較的若くて柔らかそうなのを選んで、収穫した。

スーパーの買い物袋3つをいっぱいにし、2つはリックに入れ一つは左手にもって、右手には例のパークゴルフのクラブを持って、下山の途についた。

帰りは下りなので、滑りやすい地面に気を付けながらも難なく降りることができた。

結局熊さんには会わずじまいだった。
折角対策を練ってシュミレーションまでしたのに、少し残念な気がした。
武勇伝を土産話にできたかもしれないなんて、
自分で強がりを言いながら、ほっとしている自分がいた。

-32 ツバメの雛が落っこちた(1)

 我が家の軒先に毎年ツバメがやってきて、子育てをする。
今年で何年目になるだろうか、かれこれ10年はくだらないと思う。
軒先とはいっても、2メートルほどの奥行きがあり、
そこにいつも洗濯物を干すので、
雨風はもとより、外敵(カラスや猫など)からも一切見えないので、子育てには最適の場所と思われる。

前年の巣もそのまま置いてあるので、それを利用することもある。

しかし、ことしは昨年の巣の保存状態があまり良好でなかったので、となりに新居を構えた。

運んできた泥が落ちたり、糞が落ちたりするので、
下に新聞を敷き迎えれる準備も万全にする。

ツバメが来ているときは洗濯物を干すのを待って、
ツバメが気兼ねなく過ごせるように気を使ってもいる。

昨年と言わず、近年よく観察していると、
十分に成長したツバメはそれぞれ個性的で、
巣から飛び立っていよいよ独り立ちするときに、
巣の縁に足をかけ一気に空中に飛び出す子ツバメもいれば、
なかなか飛び立てず、
巣の縁で、バンジージャンプに飛び込むお笑い芸人のように、
何度もドびだずしぐさを見せながら、飛び立てないのもいる。
その様子を見ていいるとこちらも、
そうれっと応援に思わず力が入る。

やがて全部の雛が飛び立つと、
なんか一仕事終えてホッとした気になる。


-33 ツバメの雛が落っこちた(2)

我が家の向かい側にはアパートがあり、
その通路に目隠しに40センチくらいの幅のプラスチックの板が張り巡らしてある。

ツバメたちは、巣から飛び去る前に、
その目隠しの板の上に親子ともども一列に並び、
交互に巣のところまで飛んできて、
我が家の狭い庭の上空を何度も旋回する。

そのしぐさが、あたかも我が家に、
「お世話になりました。」と言ってるようで、
とてもいじらしくなる。

やがて親子はひとしきり旋回がおわると、
そろって飛び去って行く。
思わず、私たちは、また来年もおいでね。
と言ってしまう。

そのツバメが今年もきた。
そして、卵を産み子育てをした。

ところが、どうしたものか、子育ての半ばで、
巣が壁から離れ落下してしまった。

もともと、泥を練ってつくってあるので、コンクリートの地面に落ちたときはこなごなになっていた。

不幸にも、4羽いたうちの1羽は、打ち所が悪かったらしく、
即死状態だった。

幸いにも、残り3羽は無事で、弱ってはいたが、少し動いていた。


-34 ツバメの雛が落っこちた(3)

洗濯物を干しに来て、それに気づいたわが奥さんが、

あわててどうにかしなくてはいけないと思い。

近くにあった植木鉢で巣のイメージに近そうなやつを持って来て、
それにタオルをしき、巣の残骸をいれて、
無事だった雛をいれた。

それをもとの場所に置こうにも、
壁に取り付けることは不可能に思えたので、
物干しの端のところにぶら下げた。

親ツバメに気づいてほしいとひたすら祈りながら。

しばらくして親ツバメはやってきた。

巣のあった元の所へ飛んできたが、巣がない雛もいない。

怪訝に思った親ツバメは、何度も何度もそのあたりを旋回するが、
雛の入った植木鉢の上も通るか気づいた様子がない。

早く気付いてとき乗りながら見守るが、何度まわっても気づかない。
そのうち諦めたのか、行ってしまった。

しばらくすると、また来てまた旋回する。

これを何度も繰り返した。


-35 ツバメの雛が落っこちた(4)

見るに見かねて、
わたしは、できるだけ巣に近くのほうが気づくと思い、
生垣を剪定するときに使う脚立を持って来て、
その上に植木鉢を置き、
その脚立を元の巣があったところに近く、
約40センチほど離れているが、に置いた。

またツバメはやってきて旋回するもののやはり気づいた様子はない。

気づけば、植木鉢の縁の足をかけて止まるだろうから。

その後用事があったので、しかたなく家を出た。

そして、4時間ほどして戻ってみると、
ツバメの元気な鳴き声がして、行ってのぞいてみると親ツバメが
件の植木鉢の縁の止まっていた。

ツバメの雛は元気よくピーピー鳴いていた。

よかった。ほっとした。


-36 ツバメがついに飛んだ、そして落っこちた(5)

子ツバメは日に日に大きくなり、翼も生えそろってきた。

そろそろ巣立ちの時期かなと思って見ていたら、
巣(植木鉢)のヘリに乗って、翼をバタバタやりだした。

その様子は、
初めてプールに飛び込む小学生が、
飛び込み台の上で腕をぐるぐる回しているようだった。

初めて空中へ飛び出すのは、どれほど勇気がいるだろう。

梶井基次郎の「闇の絵巻」という小説に、
“闇の中へ一歩踏み出す勇気”という記述があったが、

まさに未知の領域へ結果が予測つかいないまま踏み出す
恐怖との戦いに思えた。

頑張れ“子ツバメ”!!

そのうち、一羽が勇気を振り絞ってか、
巣を力強くけって、空中へ飛び出した。

と思った刹那。

なんと、そのまま翼をばたつかせながら、
墜落、けがこそしなかったもののサッシのガラスにぶつかり、
そのまま敷居のところに挟まってしまった。

自力で飛び出すかと思いきや、
全然身動きしなくなった。

どうしたものかと、近づいて観察しようとしたら、
親ツバメが近くまで飛んできて、
ピーピーピーピーうるさく鳴きだした。

“子ツバメにちょっかい出すな”、
という警告らしい。

ちょっとためらったが、なにしろ動けないんだから、
こちらで何とかしてやるしかない。


- 37 ツバメがついに飛んだ、そして落っこちた(6)

前回は、巣が落下し、コンクリートに激突し、
今回は初飛行に失敗し、サッシに激突し、
なんと数奇な運命にもてあそばれているツバメであることか。

いじらしくて、かわいくてとても放ってはおけなかった。

直接触ってはいけないと思いビニール手袋をはめて、
親の制止も振り切り、
近づいた。

子ツバメはきょろきょろしていたが、抵抗するようすはなかった。

両の手でツバメをそっとつかみ、そのやわらかい今にもこわれそうな感触を慈しみながら、元の巣へ上げてやった。

その時、巣に残っていた2羽が驚き、巣から突然飛び立っていった。

それも、見事に、下降することなく大空へはばたいた。

そばにいた両親も、それに合わせるように飛び立ち4羽で上空を旋回していた。

かわいそうな、落下ツバメは、自分が勇気を出して、1番に巣から飛び出そうと試みたのに、
皮肉にも後塵を拝してしまった。

みていると、巣に戻った子ツバメは、すの縁につかまりながら、
全く羽をばたつかせる様子もなく、
じっと、首だけきょろきょろさせながら、たたずんでいた。

その目の前を親ツバメは早く飛びなさいという流すように、
旋回し、また、近くの止まり木にとまってピーピー促し、
また旋回しをくりかえした。

しかし、いまのところ子ツバメは遠くを見つめながら、
一向に飛び立とうとはしない。


- 38 ツバメがついに飛んだ、そして落っこちた(7)

その間にも親は盛んにやってきて、巣に餌を落としていく。

どんな子でも、親というものは心配して世話をするものだ。
人間と同じだ。

そして、盛んに飛ぶように促している。

巣の近くまで飛んできは離れていく、この動作を繰り返している。
ピーピー鳴きながら。、

“勇気をだして、 ほら巣をけって飛び出してごらん。
きっと飛べるから “
と言っているにちがいない。

一度挫折を経験すると、なかなか一歩が踏み出せないのは、
人間とおんなじだ。

彼(彼女?)は、なかなか動こうとしない。

かれこれ、2時間もたっただろうか。

ついに、決断の時がきた。

いつかは、飛ぶとは思っていたが、その時が来た。

翼をバタバタさせ、意を決したように前を見据え、2本の足で巣をけったのだ。

やった、飛べた。

とうとうツバメは大空へ舞い上がった。

そして、親ツバメと一緒に楽しそうに我が家の屋根の上を旋回した。

2回ほど旋回して、どこかへ飛んで行った。

きっと、餌の取り方を教わりにいったのだろう。

それから、2日ほどして巣立っていった子ツバメとその親が挨拶に訪れた。

そとがやけにピーピーうるさいと思ってガラス越しに見てみたら、
三羽カーポートの屋根の上にとまっていた。

道路側の電線を見てみると、そこに2羽いた。

あの、巣立っていった親子だとすぐにわかった。

子ツバメは、まだ翼に羽毛が残っており、
どれが子ツバメすぐにわかった。

カーポートに子ツバメが一羽、電線に2羽。

しばらく、とまったまま何かさえずり、またしばらくして、
我が家の上を旋回して5羽とも飛び去っていった。

これが最後の別れらしい。

なんと、いじらくかわいいことか。

また来年もおいでね。

思わす小さい声で叫んだ。



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