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私の大発見

私の大発見

私の大発見

先日大発見をしました。
ひょっとするとこれを発見したのは日本中で私が最初かもしれません。

驚いてください。
自然と関係があったんです。

昨日小林という生徒と話していました。

「なあ、小林。」
「小林か、森っていう生徒もいたな、そういえば友達に大森、中森、あれ、中林、大林、
みんな大中小がある。」

「ねえ、愛ちゃん、」卓球はアイちゃんだけど、彼女はマナちゃんです。念のため。

「ねえアイちゃん、いやマナちゃん。名字で大中小の付く漢字って何がある。」
「小川、中川、大川。」

「小島、中島、大島。小谷、中谷、大谷。小野、中野、大野。小田、中田、大田。小畑、中畑、大畑。」

「なんか、不思議だな。共通性があるみたい。」

大発見というのはえてしてこんなものです。
さりげない日常の中から突然生まれたりします。

ニュートンがりんごが落ちるのを見て万有引力を発見したのも、
フレミングがアオカビからペニシリンを発見したのも
ふと目にした日常の中からでした。

それが大発見として認識されるかどうかは、
その時代の人々がそれの偉大さを認識できるまでに成熟しているかどうかにかかっているのです。
だから、そのときに大発見として認知されなくてもいささかもその価値があせることはありません。
時を待てばいいわけですから。

私の大発見はこうして、始まったのです。
林、森、川、谷、田、畑、野、島、これは全部自然の造形ではないか。
ということに気が付きました。

なぜ、人は自然の造形に大中小を付けて名字にしたのか、

それは、人は太古より自然を神として仰ぎ、友として遊び、母として糧を得ていたから、
自然に愛着と同時に畏敬の念をいだき、その美しさに感動を覚え、
その感動に序列をつけて表現したのです。

大きい小さいと言う感情は、直接目にする自然の中で培われ、
そこから多くの感動が生まれ人々の心に残ったのではないでしょうか。

すげえ感動した、中ぐらい感動した、ちょっと感動した。

そこから、明治になり名字帯刀を許されたときに、自然とともにありたいという願望が、
名字という形になって表現されたのではないでしょうか。

これが私の仮説です。
この仮説が世に受け入れられるのにおそらく100年はかかるのではないでしょうか。
偉大な発見ほど、時間がかかるものです。
・ ・・・・・

それから、愛ちゃんとは、授業にもどり滞りなくその日の予定を終えたのでした。
念のため。

上山、中山、下山、上林、中林、下林、上森、中森、下森、上川、中川、下川、上島、中島、下島、

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