悲観の証明(証明2)
2018.09.15
カテゴリ:雑感
悲観の証明(証明2)
悲観の証明(証明2)
私は複雑で悲観的な人間です。
ただ仕事柄複雑を単純に装っているだけです。
中身は、結構ち密にできてきます。
道を歩くときは、歩幅を45センチにするか、55センチにするか考えます。
何歩で何メートル、したがって何分で目的地に着く。
こう考えて、その通りに着いたことは一度もありません。
買い物をするときは、財布の1円玉を早くなくしたいので、ち密に計算して買うものを決めます。
そして、端数が9円になるようにカゴを満たすと、達成感に一時満たされます。
レジへ向かう途中、また買いたいものが1つ見つかり、欲求に負けて値段も見ずに買いあとはレジに任せます。すると、端数がたいてい1、2円になり悲嘆にくれます。
スポーツをするときは、肩とひじと手首の回転を連動させそこに腰の回転を加えれば、
トップスピードは若い人に負けない、と考えます。
プレイに臨むと、手足が勝手に動き、情けない結果に陥ります。
そして、自己嫌悪に陥ります。
物事をなすにはち密に計算し、最悪の事態も考慮に入れて事前に結果を予測することが必要です。
しかし、私の場合99パーセント予測した結果にならないので、その結果にまた落ち込みます。
私は、複雑で悲観的な人間です。