依頼心という悪魔(2)
依頼心という悪魔(2)
(2)
依頼心が悪魔な訳
ある生徒に不定詞について説明しました。
「不定詞は、英語でto + 動詞の原型という形であらわされ、3つの用法がある。一つ目は、副詞的用法と言って、・・・・・ 」と一通り説明した後で、
「副詞的用法は“するために”、名詞的用法は・・・、形容詞的用法は・・・」とポイントだけ3回繰り返し説明した。そして、
「いま説明したことを言ってみて?」
と聞いたら、
「えーと、名詞、動詞、・・・」
とおよそ正解とは程遠いことを答えた。答えたというよりも、答えようとした。
なぜなら、全然まとまりのない、思いついた言葉の羅列で、説明にはなっていなかったからだ。
次に、「じゃあ、今度はもう一度一回だけ言うからな。そのあとで、同じことを質問するからね。」
と言って、同じくまた、副詞的用法から説明した。
そして、「じゃあ、不定詞の3つの方法について言ってみて。」
と言ったら、今度は3つとも滞りなく答えた。
「これって、どういうこと? 3回説明して言えなかったのに、たった1回説明しただけでちゃんと言えたじゃない。」
「この違いってなんなの?」
これは、明らかに気持ちの差です。
覚えようとして聞いているのか、ただなんとなく聞いているのか。
同じ勉強をしてもこれだけ差があります。
能力の差もあるだろうし、勉強時間の差もあるだろう。
だけど、もっとも差を生む要因はこの気持ちの差じゃないでしょうか。
こういうことを生徒に何度説明しても、生徒の気持ちはなかなか変わりません。
では、その気持ちの差はどこから来るのでしょうか。